御巣鷹山 上野村(群馬県)
日航ジャンボ機遭難事故の慰霊塔 慰霊の園設計制作・巨石彫刻家、半田富久 

2004年06月11日

読売新聞  慰霊碑制作 半田富久

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読売新聞  昭和62年(1987年)8月11日(火曜日)
論点 半田富久

あす十二日は、群馬県上野村での日航ジャンポ機大惨事の満二年目に当たり、遭難者は三回忌を迎えることになる。これを機会に「慰霊の園」の制作者として一言述べておきたいことがある。
 私は、石は何千年もの闇風雨に耐えて今日まで存在するものであり、この超自然的な力は、むしろ神のものではなかろうかと思っている。これを核として制作してきた慰霊の園の石工事が、最後に残った御巣鷹山の象徴ともいうべき空と山なみの石彫を施して、四月三十日をもって一応の完了をみた。私はこの慰霊の園作り以前にも海音寺潮五郎先生を始めとして時々個人の墓を作ることがあった。
 しかし今回の慰霊塔並びに納骨堂、さらにこれらを配する広場の設計は、墓とかモニュメントという概念につけ加え、数段大きなマウソリウム(雄大壮麗な墓)という構想をもって取り組んだ。
まず身元確認不可能な百二十一人の御霊(みたま)を納める黄泉(よみ)の国というべき納骨堂が必要である。また死の象徴である慰霊塔が建つ基段広場と、参拝のための広場が要求されたのは当然のことである。
高さ11メートルの慰霊塔は、石を合掌させたもので、そのすき間から納骨堂と御巣鷹山の遭難地点を一直線に拝ませるように計画した。
 ただ現在までの慰霊の園作りは、予算の関係もあり恐らく八分の仕上がりというべきであろう。
この参拝人、三千人を収容可能な広場は整備されつつはあるが、参拝後の直会(なおらい)の場が皆無であることは、一考を要する点である。直会は日本吉来連綿と引き継がれた慣習で、酒が神(霊)と人との仲をとりもつものである。御神酒(おみき)のきは、霊という意味をもっている。枢(ひつぎ)は古語では「ひとき」であり、このきも霊を表している。天皇の墓は陵(みささぎ)で、このぎはきである。また貴人の墓である奥津城(おくつき)のきも同じである。
 このように霊のきと酒のきとは、非常に密接な関係にある。人が酒を媒体として霊と交歓するのである。日本に限らず酒と神(霊)については・キリスト教ではブドウ酒であり、ギリシャでは酒神にバッカス、ゾロアスター教では酒そのものを聖なるものとして扱う。ウイスキー、ブランデーは生命の水として、アイヌの人々はカムイワッカ=神の水とたたえている。ただイスラム教においては、コーランにより禁止されている。
 もちろん仏教では般若湯(はんにゃとう)である。わが国の古代においては、飲酒は神事にかぎられ、集まった人々は忘我陶酔に至るまで飲むことをもって作法としていた。
このような観点からすると、参拝後の酒はただ単に、"お清め。では済まされない。五百二十人の御霊と親子兄弟になるような杯である。
 近ごろ、参拝者が増すに従って、慰霊の園が観光地化されたような言葉を耳にするが、参拝に来られる方を制限することはまず不可能である。そのためには、気持ちよく参拝できるような施設を整備するのが急務である。私が現場で仕事をやっているとき、いろいろなことに出食わした。毎日カラスの群れが来て、供物台の上の果実そしてアメ玉に至るまで上手に食べて帰る。またさい銭泥棒がやってくる。古代墳墓の盗掘の現代版を見るような思いが一した。大きく目を開いて参拝というものをみれぼ、カラスも泥棒もささいなことである。参拝者は大勢の方がよいと思う。まず慰霊の園に立つ体験をして頂くことが先決である。そしてこの惨事を胸に抱きかかえて再認識することであり、二度といまわしい事故を繰り返してはならないと誓いを新たにすることである。それが私の真の願いである.
           昭和62年8月11日    半田富久




posted by 半田富久 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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